2010年02月28日

囲碁ボール大会

004.JPG

昨日の奥丹波の峰各は空は暗く時おり白い雪雲に被われ寒い。
午後からは丹波囲碁ボール大会が開催される。
参加人員は約80名、何時ものように心を許した同士の毒舌も、笑いの渦となり熱戦を展開。

囲碁ボールもカーリングみたいや、オリンピックに採用されたらと大きな期待を宿す選手もいたりして・・・・スキー

posted by はちゆら at 08:59| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年02月26日

地名考P4 あくばい

六反田 斎田(水田) 足洗 の地名がありますが、おそらく斎田(皇室に献上する米を栽培していた所)があった所と思われ、斎田に入る時は足を洗い身を清めた処であるとおもわれます。
また雪田の地名も存在しておりますが、悠紀田(斎田)が当て字になったのでしょう。

尚、悪灰(あくばい)の地名が少し離れた処にあります。
これは神に御供えする酒を清酒にするのに用いた、灰を作った処であったと推察されます。



posted by はちゆら at 11:51| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年02月25日

地名考 P3 矢降り三

地名考P2に記した高見山の中腹に矢降三の地名があります。
古老の話によると高見山より矢を三本放ち、その落ちた所に里宮が祭られていたと言います。

現在の新井神社は元もとはこの矢降三にありましたが、今は里の近くに祭られております。
後の二本の矢が落ちた所は、隣の部落に現在も祭られています。

神体山は稲の種籾を保管する場所で巫女が守っていました。
春になると種籾を里に下ろし、秋には種籾を持って行きお守りをする、その名残が春の葵祭りであり、秋の祭りとも言はれています。




posted by はちゆら at 16:31| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年02月22日

地名考 P2


001.JPG

高見山と呼ばれる山は、山岳信仰の対象の山で秀麗で神体山として全国的に多く見られ、その山麓には古墳群があり、死者の霊が昇天する山とも考えられます。

地域の人々は朝夕この高見山礼拝し五穀豊穣と家内安全を祈願していたものと推察されます。

その礼拝する一番よく眺められる場所として、拝所とされており私の村にも拝所橋の地名があります。

なお人が集まる場所で会所橋とも言われています。

posted by はちゆら at 14:09| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年02月21日

地名考P1

 近年農業の近代化に伴う哺場整備により、古来からの地名は、その地 の生い立ちを知る生きた文化財ですが、消失され一部の心もとない人 によって消されつつあります。
 従ってこの地名を残すべく素人なりに文献を紐解てみました。
  
 私の村に湯の森と言う地名があり、この地は昔から湯が湧いていた  伝説があり、その傍に東向きの薬師さんが祭られています。
 古老の話によると東向きの薬師さんのある所には、温泉があるとも伝 えられています。
 さらに、その近くの山からは二月になると松茸は生えるとも言われて いました。
 しかし、この温泉で不浄の物を洗濯した事によって湯は湧かなくなっ たと伝えられています。

 今から五十年程前に、大阪の大学の先生が来て地質調査もされ、村の 有志によってボーリングもし温泉探索をしましたが、温泉はおろか水 も湧かなく断念された経過もあります。

 この湯の森は本当に湯が湧ていたのか?
 地形的に見ると集落の上にあり、東西の谷が合流した所で堰(ゆね) があった所で、農地の水の配分がされる堰があり、いつの間にか堰が 湯に置き換えられたと考えられます。
posted by はちゆら at 11:28| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年02月19日

終わりの始め

 
 99歳の母は、今、特養に入所していますが嘔吐が激しく苦痛の毎日 でありますが、その中にあって見舞に来て頂く方に対し苦しい息つか いの中で吐く感謝の言葉。
「長い間お世話になりました有り難うございました思い残すことはありません」

 艱難辛苦を超えて生き伸びてきた悟りの境地に達したと思える言葉  は、当に衆生本来仏なりと教えられました。
 
 たらちねの 母の山河を 偲びつつ ながれる雲は 消えてゆき  

posted by はちゆら at 13:39| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年02月17日

厄神祭

三丹一の厄除祭。 昔は我が家の前の道には列をなして参拝者が行き来し、村の入る辻辻には老木の根っこを燃やして暖をもって接待をしていた、その風景はいつの間にか姿を消てしまった。
町には山車が繰り出され、渡りの芸人達が漫才や手品等を演じ、屋台には香具師が言葉巧みに口上述べ、黒山の盛況をを博していたが、その影もなくなり、ガス灯も電灯に変り、小遣いの五十践銀貨を握り、お目当ての品を探したりした六十有余年が昔が懐かしく思い出され、なんだか心の温もりが失せ感が湧いてくる。

百円で 病と景気 ふっ飛ばし
posted by はちゆら at 10:09| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年02月16日

連理の枝

MJCAXU3NSYCAVDEHXTCALHA0EQCAHLOGBXCA2AAJLQCASA83N4CAGJQN0O.jpg


うえるかめの、スダチ農家の取材で一老婆が守っているスダチ畑は亡き夫との形見であり、その実は宝石のようであり、働けなくなっても最後には一本だけわ残したいとの言葉。連理の枝の木だと
50年喃々とする我が家の栗畑も、父と共に育てた老木が15mもの枝を繁らし毎年宝石のような実を贈ってくれる。
天にあっては比翼の鳥とならん 地にあっては連理の枝とならん
男女の愛だけの言葉ではない、連理の枝の繁林を皆で育てたいものだ。
posted by はちゆら at 09:11| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年02月15日

バレインタイン

「これ」そっけない一言の子供?から手渡されたでピンクの小さな袋
 孫からのバレンタインの贈り物。
 丹波のじじい、ばあばへ
 いつもやさしくしてくれてありがとう黒ハート
 チョコ作ったので食べてください。
 
 小さな字で書かれた可愛いメッセイジが添えてある。

    香雪より

 早速にお礼の電話をすると「お母さんと一緒に作たの」孫の言葉。
 ほろ苦い子供の味と、まろやかな孫の甘さがミックスされた味に鬼顔
 も自然とほころぶ。
 


 
 
posted by はちゆら at 10:47| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年02月13日

シンボルの 平和の鳩も 今いずこ

images.jpg
神武の昔から、権力の争奪をめぐり骨肉の争いは歴史が示す事ではあるが鳩山一家の争いは目に余るものがある。
仮に、鳩山総裁が言ってたとしても、それを盾にとって政権獲得の具に持ち出す兄弟喧嘩は真ともな人間のする事ではない。
さらにこれを幸い野党が、鬼の首を取ったように尻馬に乗って攻撃するのは、金銭問題よりもこのような行為の方が人間として恥じるべきである。



posted by はちゆら at 16:01| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年02月12日

紀元節

一、雲にそびゆるちほのねおろしに艸も木も
  なびきふしけん大御世を仰ぐけふこそ樂しけれ
二、うなばらなせるはにやすの池のおもよりなほひろき
  めぐみのなみにあみし世を仰ぐけふこそたのしけれ

  忠魂碑の前に全校生整列し、この歌を唄うた軍国時代、幼いながら 御国の為に死ぬのは尊い事だと信じていた死に対する考えが、時代の 変遷や洋の東西により死生観が変わってくる。
 死は不変でありながら、死に対する絶対的な生き方は何なのか、何に 求めるのか解らない。
 暖衣飽食に甘んじる現代が幸せとして生きるのがいいのか・・・
posted by はちゆら at 17:05| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年02月11日

爺 爺 の挑戦

 今年70うん歳の馬齢を迎える欲張り爺が、丹波春秋のツイターの記事を 見てブログに挑戦。
 PC説明書を見ても横文字が多くて難解この上なし。
 ようやく あっつぷ丹波に掲載されて出来た ヤッター一人悦にいる 事ができました。
 家内から三日坊主と冷やかされていますが、今日で十二回目の投稿何 時まで続くやら手(パー)

posted by はちゆら at 09:42| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年02月09日

一笑一若 一怒一老

一笑一若 一怒一老 一度笑うと一つ若返り 一度怒ると一つ老いる。昔から言われた禅僧の有名な言葉がありますが、現在の免疫学者も総べての病は、自律神経の失調が原因だと指摘しており、その交感神経と副交感神経の均衡を保つのは笑いが一番と説いています。
我田引水ではありませんが囲碁ボールこそ笑いの絶えないニュースポーツです。

P1011911.JPG
posted by はちゆら at 16:16| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年02月08日

囲碁ボールP3

      
石見碑 016.JPG



昨日の碑文の写真が読み辛かったと思いますので全文を記します。

緑豊かな 石戸山 堺をめぐる 争いに 心いためた 殿さんの 石見

守は 碁仇の 駿河守と 碁盤上 山を賭けての 白黒勝負

石戸の原は 秋日和 勝負に挑む 殿さんは 村一番の 知恵者つけ 

傘に小さな 穴開けて 碁盤打つ目を こもれ日で ここぞと決めてを

合図する

勝負はついて お互いに 見合す顔に 笑みたたえ 争い絶えて 村栄

え 石見神社の 社建て ご恩忘れず 奉納は 碁石花咲く 大碁盤
posted by はちゆら at 10:28| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年02月07日

囲碁ボールー


石見碑 004.JPG


前の書き込みの続きです。
柏原町(旧新井村)には山の領境界をめぐり、隣村とも争いを両村の殿さんが囲碁の勝負によって決めた碁賭けの勝負の伝説がありましす。
この時の柏原側の殿さん(谷垣石見守)が勝ちその遺徳を偲んで崇められています。
この伝説をもとにして生まれたのが囲碁ボールなのです。




posted by はちゆら at 15:06| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年02月05日

囲碁ボール

囲碁ボールの発祥の地、丹波について少し記してみたいと思います。
今から20年前、当時はゆとり教育と世代間の交流の為、週休2日か制が実施されました。私の町に賭け碁の伝説があり、囲碁の町柏原として囲碁大会が年一度開催されておりましたが、本碁は一部の人の集まりにとどまっており、何か老若男女の参加できる地域の伝説に纏わる楽しい遊びはないかと思い考案したのが囲碁ボールの始まりです。
今では全国に普及して多くの愛好者ができ楽しんで頂いております。
次回から囲碁ボールの歩んだ足跡を書き込んでいきたいと思います。

igoball.jpg
posted by はちゆら at 10:18| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年02月04日

面白い友人

この間散歩していたら畑に火星人が降りた跡があってなー
「へいーそんな馬鹿な」
「落花生」
「内の嫁はん胡瓜が好きなんや」
「キュリー夫人話てなー」
名も求めず 欲もない 木偶の坊ののような人物である。
悟りを開いたような得難い友人の一人でもある。
posted by はちゆら at 14:44| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年02月02日

孫の詩

未熟児で生まれずいぶん心配させられた孫も、今年の春は五年生になり
こんな詩を送ってくれましたた。
「自分って」 わたしってどんなんかな・・・えーん
わたしってすぐなくなー ブー
わたしって ぶた大好き やったー百点だ
わたしってあたまいいな あーあーどうしよう
わたしってドジだなあー
えー それどういういみ わたして言葉がよくわからないないなー
なんで なんでなの みんなとわたしちがうけど
わたしは自分が とっても大好き




posted by はちゆら at 10:01| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
×

この広告は90日以上新しい記事の投稿がないブログに表示されております。